小林さんの話

 昨夜はアンプラグドでお世話になった写真家の小林昭さんを囲む会。そもそものきっかけを作ってくれた先輩たちと渋谷の鳥料理屋さんにて。

 小林さんの話は相変わらず面白い。というか衝撃的でもある。

 そのひとつのエピソードをひとつ。

 69年にLAのベニスビーチで住んでいた頃。ビーチに行くと日本人らしき男性がぽつねんと座っていた。まだ海外旅行が自由化されて間もない頃。よほどの金持ちか物好きでないとなかなか海外に出られない時期である。

 珍しいので声をかけて話してみたら、すさまじい経験を経てきていることがわかったそうだ。数年前にアメリカに入ってきて、お金もコネもなくふらふらしていたら、とあるブローカーのようなやつに仕事をしないかと声をかけられた。渡りに船とばかりについていったら、それはとてつもなく広大な農場で、メキシコからの不法移民などと一緒にタコ部屋のようなところへ放り込まれ、まるで奴隷のように日の出から入りまで働かされたという。逃げようにも農場が巨大過ぎて歩いては抜け出せない。見渡す限り地平線である。見張りも拳銃を持っているし、もう絶望しかないような環境であったと。

 もらえるのはわずかの日銭のみ。

 言葉もできず、毎日馬車馬のように働かされ希望を完全に奪われた。

 季節が変わると収穫地も収穫物も変わる。南西部の農場から徐々に西北、つまりカリフォルニア方面へ移動してきて、折をみて逃げ出してきたそうだ。しかし逃げても行く場所も頼る人もいない。そこでビーチで日がなぼんやりと過ごしていたそうだ。

 これわずか40年あまり前の出来事。奴隷制度などはとうの昔に廃止された近代アメリカでの出来事である。

 結局2~3日ビーチにいた後、この男性はどこかにいなくなったという。決心してどこか働く場所を探しにでかけたのか、あるいはまた別のブローカーに声をかけられたか、それとも見つかったか。いずれにせよ、こんな凄惨な話がつい最近まであったということを知ってショックであった。

 いまこの男性はいったいどこで何をしているんだろう。

 こんな風にして奴隷のように働かされてそのまま行方不明になった人も多いに違いない。

 アメリカ、おそろしい。

 他にもそんな話ばかりの夜だった。ベトナム戦争の話もエグかったなあ。でもこれはまたの機会に。