想像力の欠如

表現の自由」という言葉がなんだか免罪符のように使われているような気になった。昨日のフランスで起きた新聞社のテロ事件である。

 もちろん犯行を犯した者が最も悪いに決まっている。断罪されるべきだ。多くの命が失われた。

 しかし一方で、大切にしているものをその免罪符の元に蹂躙されたら相手がどういう気持ちになるだろうかという想像力が欠けているような気がしたのである。

 アメリカでも北朝鮮の指導者を実名で茶化した映画のせいでソニーピクチャーズがサイバー攻撃を受けた事件があった。

 公開を自粛する会社に大統領が批判コメントを出し、表現の自由は担保されるべきだなどと語った。確かに表現の自由は大切だ。でもね、と思う。

 相手を侮辱する最低の言葉はいろいろある。これ表現の自由なのか? 自由なんだろう。でも浴びた方はどんな気になる。怒るのが当然だ。

 茶化す方は面白いし楽しいのだろうけど、茶化された方は?

 風刺といえばそれも免罪となるのだろうか?

 相手をリスペクトしない限り、紛争はなくならない。こんなこと続けてたらますます無垢な犠牲者が増える。

 今回の件で犠牲になった方々とその家族には本当に気の毒です。